シンガポール航空(SIA)の株価が5月10日、前日比で急伸し、約5週間ぶりの大幅な上昇率を記録した。発表した2023年度通期決算が市場予想を上回る過去最高益となり、イラン情勢の緊迫化といったリスクがくすぶる中でも旺盛な旅行需要は衰えないという強気の見通しを示したことが、投資家の買いを呼び込んだ。航空業界全体が地政学的なリスクの影響を精査する局面において、SIAの業績と姿勢は、プレミアム路線に特化したビジネスモデルの強靭さを改めて印象づけた。
通期決算と市場予想の差分は何か
SIAが発表した2024年3月期の純利益は、前の期比で24%増加し、26億7500万シンガポールドルに達した。これは同社の歴史で最高益となる。事前のアナリスト予想平均である24億8000万シンガポールドルを大きく上回り、増益の主因は旅客部門の収入増だ。通期の総収入は190億1000万シンガポールドルと、初めて190億ドルの大台を突破した。
旅客輸送量を示す有償旅客キロは前期比で26.6%伸びた。特に中国、日本、韓国を含む北アジア路線の回復が顕著で、これらの路線の旅客収入は前期比で約67%増加した。一方、座席供給量を示す有償座席キロも19.9%増えたが、需要の伸びが供給の伸びを上回ったため、ロードファクターは88.0%へと3.8ポイント改善した。イールドは微減したものの、高稼働が補う格好となった。
イラン緊迫化を巡る需要認識
ガザ地区での軍事衝突に端を発した中東情勢の不安定化は、航空業界全体にとって新たな下方リスクとして認識されている。イランとイスラエルの直接対決の可能性が取り沙汰され、燃料価格の高騰や運航ルートの制限が懸念される中、ゴー・チュンフォン最高経営責任者(CEO)は決算説明会で積極的な見解を示した。
ゴーCEOは、中東の緊張が即座に世界的な旅行需要の減退につながる兆候は見られないと断言した。その上でSIAは、貨物便を含めた柔軟な路線計画と、複数のハブ空港を活用したネットワーク戦略により、リスクを局所化できると説明している。同社の運航する長距離路線は、アジアと欧州を結ぶ北回りのほか、中東のドバイ経由など選択肢が多く、一部空域に問題が生じても、代替ルートへの切り替えで影響を最小化できるという点を強調した。この不確実性の中での楽観的なメッセージが、業績の数字以上に市場心理を強く押し上げた要因である。
航空貨物と他事業の回復ぶり
旅客事業と並行して、航空貨物と整備・訓練といったその他事業の損益も改善した。貨物部門の収入は前期比で約31%減少したが、これは新型コロナウイルス流行期の特需が剝落した反動であり、より長期的な視点ではパンデミック前の水準を上回る収益性を維持している。2020年3月期と比較した貨物収入は約30%高い水準にある。
整備・運航支援を手掛けるSIAエンジニアリングカンパニーは、アジア太平洋地域における航空需要の本格回復を背景に、整備受託が急増した。タイガーエアやスクートといったグループLCCも、短距離国際線のレジャー需要取り込みで黒字を維持し、グループ全体の収益基盤を下支えする構造に変化はない。なおゴーCEOは、過去に経営統合が破談となったインドのタタ・グループ系航空会社との関係について、現時点で新たな出資や買収の計画はないと言及した。
日本企業の視点と競合動向
SIAの決算は、日本の大手航空会社の戦略を考える上でも示唆に富む。ANAホールディングスと日本航空はいずれも中国路線の回復遅れを北米・欧州で補う戦略を取っており、SIAと顧客獲得競争が生じている。とりわけSIAは、日本発着の東南アジア・インド方面への経由需要を積極的に取り込んでいる点が注目される。SIAの北アジア路線収入が急増した背景には、日本発のビジネス・観光需要を、自社のシンガポール・ハブで集約する動きが強まっていることがある。中東リスクで欧州路線の迂回運航が常態化すれば、日本勢の欧州便コスト増加は避けられず、相対的にシンガポール経由ルートの競争力が増す可能性がある。
好業績でもくすぶる燃料と経済の不透明要因
SIAの業績は好調だが、楽観視できる材料ばかりではない。原油価格とジェット燃料価格はここ数か月、地政学リスクを織り込む形で再び上昇基調にある。SIAの燃油ヘッジ比率は中長期で安定しているが、燃料費は総コストの3割超を占める最大の費用項目であり、価格高騰が利益を圧迫する構図に変わりはない。また、マクロ経済指標の減速感や、世界的な金融引き締めが個人消費に波及すれば、高単価のプレミアム需要に強みを持つ同社といえども、一定の影響は避けられない。アナリストの一部は、今年度の業績ガイダンスをSIAがいまだ示していないことを指摘し、今後の経営戦略発表のタイミングを注視している。