医療機器大手BD(ベクトン・ディッキンソン)のトム・ポーレン最高経営責任者は、人工知能とロボティクスの融合が今後10年で医療の在り方を劇的に刷新し、現在の制度を「時代遅れの遺物」に変えるとの見通しを示した。ポーレン氏が語ったのは、単なる技術進歩の予測ではない。世界的な医療費の膨張と慢性的な人手不足という構造問題に対し、AIとロボティクスが唯一の現実解になりつつあるという産業判断である。
医療現場が直面する不都合な真実
世界保健機関の推計では、2030年までに世界で約1000万人の医療従事者が不足する。高齢化が加速する日本では、2040年に必要となる医療・介護人材が約1070万人に達する一方、供給可能な人材は約970万人にとどまる見込みだ。この差を埋めるにはテクノロジーによる代替しかないというのがポーレン氏の主張の起点である。ブルームバーグのキャロライン・ハイド氏が聞き手を務めた対談で、同氏は「ワークフォース不足とコスト増大の二重苦を、AIとロボティクスの組み合わせで解決できる」と明言した。
これまでも診断支援AIや手術ロボットは個別に進化してきたが、同氏が指摘するのは「単体最適」から「システム最適」への転換である。具体的には、AIが患者の電子カルテやゲノム情報から治療方針を提示し、ロボティクスが投薬や採血を自動実行し、さらに自動搬送ロボットが院内物流を担うといった一気通貫の自動化像を描く。ポーレン氏は「今日の入院体験は10年後に時代錯誤に見えるだろう」と述べた。
BDの戦略は自動化の三層構造
BDの事業は採血器具や点滴ラインといった消耗品から、投薬管理システム、電子医療機器のサイバーセキュリティまで幅広い。ポーレン氏が今回示したロードマップは、同社の製品群を「データ取得層」「解析層」「実行層」の三層で再定義する考え方に立つ。データ取得層では、採血デバイスに微小センサーを組み込み、採取瞬間の生化学データをAI解析層へリアルタイム送信する。解析層ではAIが投薬量や治療介入のタイミングを判断し、実行層でロボティクスが点滴流量の自動調整を行って閉じる。
同氏は「我々は年間700億回の医療処置に関与している」と述べ、この接点の巨大さがデータ優位性に直結すると強調した。競合のシーメンス・ヘルシニアーズやメドトロニックもAI投資を加速させる中、BDの差別化要因は「診断と治療をつなぐワークフロー全体の自動化」にある。米調査会社の予測では、医療AIの世界市場は2028年に1020億ドルの規模へ成長する見通しで、このうち院内ワークフロー自動化領域が最も高い年平均成長率を示すとされている。
日本市場への波及と規制の壁
日本はBDにとって米国に次ぐ第二の市場であり、今回のビジョンは国内の医療機器産業にも再編圧力となる。テルモやニプロといった国内大手は注射器やカテーテルで高いシェアを持つが、AI連携型デバイスへの移行はこれからだ。ポーレン氏は具体名に言及しなかったものの、「単機能デバイスのコモディティ化は避けられず、データとソフトウェアで付加価値を出せる企業だけが生き残る」との認識を示した。これは開発費の負担能力で劣る日本の中堅メーカーに対し、波紋を投げかける発言である。
同時に、日本の薬事規制はAI搭載医療機器の継続学習を認めるかどうかという未解決の論点を抱える。現在の薬機法は製品を「完成品」として承認する前提のため、使用中に学習し性能が変化する継続学習型AIの扱いが定まっていない。BDの三層構造はまさにリアルタイム学習が前提であり、日本市場で展開するには規制当局との調整が不可欠になる。
問われる人間の役割と判断責任
ポーレン氏は「AIが医師を代替するとは考えていない」と慎重な表現を選んだが、その真意は「診断から治療実行までのうち人間が介在すべき価値判断の領域は縮小する」という構造認識にある。具体的には、抗がん剤の副作用予測と投与量調整のような多変量判断において、AIの精度が人間の経験則を上回るケースが増えている。米国では既に一部のAI支援システムがFDAから自律的投与量調整の認可を取得しており、臨床判断の責任所在が次の争点となる。
BDが推進するロボティクス連携は、この責任問題をさらに先鋭化させる。AIが判断しロボットが実行する一連の流れで、有害事象が発生した場合の責任は指示を出した医師、AI開発者、あるいはロボットメーカーにあるのか。ポーレン氏は「ガバナンスの枠組みが技術進歩に追いついていない」と認めた上で、業界全体でのルール形成を急ぐ必要性に言及した。
投資家の視線と統合の行方
金融市場では、BDのビジョンをどう評価するかで見方が割れている。同社の2024年度の研究開発費は約12億ドルで売上高比6.5%と、テクノロジー企業と比べて低く見える。ポーレン氏が描く未来を実現するには、AIソフトウェア企業の買収やロボティクス企業との資本提携が不可避であり、バランスシートの使途が焦点になる。アナリストからは「既存の消耗品ビジネスが生む安定収益を、どれだけ早く高成長領域へ振り向けられるかが鍵」との指摘が出ている。医療AIの進化は単なる技術論ではなく、産業構造と資本配分の根本的な再編を伴う転換点に差し掛かっている。