英国債市場が激しい売り圧力に晒されている。チャールズ国王による議会開会宣言、いわゆるキングズスピーチを前に、スターマー首相が党内の政敵や野党の批判を必死に封じ込めようとする政局の混乱が、財政規律への懸念に火をつけた格好だ。ロンドン市場では長期金利の指標となる10年物ギルト利回りが急上昇し、投資家の信任が急速に揺らいでいる。

政権基盤の弱さが債券売りを誘発

今回の市場混乱の発端は、キングズスピーチで発表予定の新たな政策パッケージを巡る与党内の亀裂だ。スターマー首相は労働党政権の看板政策として住宅建設の大幅緩和や犯罪対策強化法案を盛り込む方針を固めたが、一部の古参議員から「市場原理に過度に傾斜している」との反発が噴出した。首相は辞任警告も辞さない強硬姿勢で臨んだものの、党内抗争の表面化が投資家心理を冷え込ませた。

複数の市場関係者によると、16日のロンドン市場で10年物ギルトの利回りは前日比12ベーシスポイント(bp)上昇の4.62%と、直近の高値圏に突入した。債券価格の下落幅はここ3カ月で最大である。スターマー氏が7月の総選挙で圧勝してから安定すると期待された英国債だが、政権基盤の予想外の脆さが露呈し、一転して売り優勢の展開となっている。

財政拡張への警戒が金利上昇を加速

市場が最も恐れているのは、政治的混乱が財政規律の緩みに直結するシナリオだ。エコノミストの間では、スターマー政権が求心力を欠いた場合、支持率維持のためにばらまき色の強い予算編成に傾くリスクが指摘され始めている。実際、影の財務相だったレイチェル・リーブス現財務相は「成長なくして財政再建なし」と繰り返すものの、具体的な財源確保策は示せていない。

バークレイズの債券ストラテジストはリポートで、英中銀が量的引き締めを継続する中で政府の資金調達需要が拡大すれば、ギルト市場の需給悪化は避けられないと分析する。インフレ率が依然として英中銀目標の2%を上回る状況下、利下げ期待の後退も長期金利を押し上げる構造要因となっている。9月の消費者物価指数がサービス部門の粘着性を示せば、一段の売り材料になりかねない。

ポンド安連鎖と日本市場への波及

英国発の動揺は為替市場にも飛び火している。ポンドは対ドルで1.30ドルの大台を割り込み、対円でも続落した。三菱UFJフィナンシャル・グループの為替アナリストは「通常、金利上昇は通貨高要因だが、今回は財政不安が先行する悪い金利上昇の様相が強い」と指摘する。信認が傷ついた通貨と金利上昇が同時進行する典型的なリスクオフの構図である。

この余波は日本市場にも静かに及ぶ。生命保険会社や政府系ファンドなど、巨額の英ギルトを保有する日本の機関投資家は、保有債券の含み損拡大に直面する。加えてポンド安・円高が進めば、英国事業を展開する日本企業の収益にも逆風となる。自動車や商社など対英輸出比率の高いセクターでは、来期業績見通しに影を落としかねないとの警戒が出ている。

キングズスピーチ市場は材料出尽くしか

17日のキングズスピーチで発表される法案は全35本規模となる見通しだ。最大の焦点は、労働者権利の大幅拡充を謳う雇用権利法案である。スターマー政権は副業禁止ルールの緩和や解雇規制の厳格化を打ち出す構えだが、企業側からは雇用コスト増を懸念する声が強い。財界寄りの姿勢で党内左派をなだめつつ、経済運営では市場との対話を続けるという綱渡りを強いられる。

市場参加者の一部には、無事に議会開会が終われば過度な政治リスクプレミアムは剥落するとの楽観論もある。しかしクレディ・アグリコルのストラテジストは「問題はスピーチの中身よりも、その後の法案成立プロセスにある」と冷ややかだ。上下院の審議で骨抜きになるリスク、あるいは妥協の代償として歳出が膨張するリスクのどちらを取っても、財政の中長期的な道筋は描きにくい。

投資家を試すソブリンリスクの再浮上

今回の動揺は、一見安定した先進国の国債にも政治リスクが突如として価格に織り込まれる現実を浮き彫りにした。過去にはトラス元首相の減税政策が引き起こした2022年の年金危機の記憶も生々しい。BNPパリバの金利戦略チームはギルトのボラティリティ指標が急伸していると報告し、短期的な投機筋の参入が値動きを増幅させる危うさを警告する。

英中銀のベイリー総裁は今週の講演で、物価安定へのコミットメントを改めて強調したが、金融政策だけでは財政への信頼を下支えできない局面に入った。スターマー氏が掲げた「チェンジ」の実像が問われる中、債券市場は政治家に規律を迫る無言の圧力をかけ続ける構図である。