投資家保護へ異例の異議申し立て

生成AI開発を手掛けるAnthropic PBCは、複数の未公開株流通市場(セカンダリーマーケット)上で同社株式を販売する複数の業者やプラットフォームを「非公認」と特定し、投資家に対してこれらの株式を購入しても無効となる可能性があると警告した。非上場企業による自社株の二次流通への異議申し立ては極めて異例であり、数百億ドルと評価される同社の企業価値をめぐる市場の思惑に冷や水を浴びせる形となった。

同社は投資家向けの通知の中で、特定のセカンダリー仲介業者がAnthropicの株式を販売しているが、それらの取引は会社の承認を得ておらず、また当該プラットフォームが実際に有効な株式を保有している保証もないと明言した。Anthropicの広報担当は「通知に記載されたとおりであり、これ以上付け加えることはない」と述べるにとどめている。

二次流通に異を唱える背景

Anthropicが名指しで警告を発した背景には、未公開株市場の急拡大と、それに伴うガバナンス上の混乱がある。Forge GlobalやEquityZenといったセカンダリープラットフォームは、IPOを待つスタートアップの従業員や初期投資家に換金手段を提供する一方で、企業側の統制が及びにくい「野良取引」を生み出しやすい構造を抱えている。

未公開企業の株式には譲渡制限(Right of First Refusal, ROFR)が付与されていることが一般的だ。Anthropicは通知の中で、非公認の二次流通に関与した投資家は、将来の資金調達ラウンドや公式な流動性プログラムから排除される可能性があるとも示唆している。同社はOpenAIやGoogleといった競合との開発競争が激化する中、企業価値の毀損を防ぐと同時に、株主構成を厳格に管理したい狙いがあるとみられる。

時価総額600億ドル超の巨人

Anthropicは大規模言語モデル「Claude」シリーズの開発元であり、2025年に入りTPGやLightspeed Venture Partnersなどが主導する資金調達ラウンドで評価額が600億ドルを突破したと報じられている。この評価額は、非上場のAI企業としてはOpenAIに次ぐ規模であり、世界中の機関投資家が同社株へのアクセスを熱望する状況が続いてきた。

こうした需要を背景に、セカンダリーマーケットではAnthropic株のプレミアム取引が横行していた。関係者によると、一部のプラットフォームでは公式評価額を大幅に上回る価格で小口の株式が売買されており、同社の実態とかけ離れた価格形成が行われていることに経営陣は強い危機感を抱いていたという。今回の「非公認」指定は、過熱する未公開株投機への牽制球として機能する可能性が高い。

法務リスクと業界構造の矛盾

法律の専門家は、Anthropicの動きには強い法的根拠があると指摘する。未公開企業の株式は連邦証券法および州法上の譲渡制限に服しており、企業の取締役会が承認していない取引は無効と判断される可能性がある。さらに、もしセカンダリー業者が実際に株式を保有せずに売却しているのであれば、それは空売りに等しく、証券詐欺に該当する恐れも出てくる。

一方でセカンダリー業界からは反発も出ている。ある大手プラットフォームの幹部は匿名を条件に「我々は適法に組成されたSPV(特別目的会社)を通じて経済的権利を提供している。企業側が全てを否定すれば、従業員の流動性ニーズに応えられなくなる」と述べ、構造的なジレンマを浮き彫りにした。高騰するAI株の影で、資金調達ラウンドの高額評価と、実際に従業員が現金化できる出口戦略の乖離が深刻化している。

日本の投資家と市場への波及

Anthropicの警告は、日本の機関投資家や富裕層にも無縁ではない。国内の複数の証券会社やデジタル証券プラットフォームが、シリコンバレーの未公開AI企業の株式に投資できるファンドや仕組み債を組成し、個人投資家に販売している実態がある。国内の金融商品取引業者の中には、こうしたセカンダリー取引を経由して取得したとみられるAI株を投資対象に組み込むケースも出始めていた。

日本の金融庁はこれまで、未公開株式のセカンダリー取引に関する明確な規制ガイドラインを示していない。しかしAnthropicが非公認と明示したことで、これらの金融商品の裏付けとなる株式の真正性や法的有効性に疑義が生じる可能性がある。ある国内ベンチャーキャピタリストは「投資家保護の観点から、海外セカンダリー案件のデューデリジェンスは飛躍的に難しくなる。AIユニコーンの株式を謳う商品は、今後より慎重な精査が必要になるだろう」と分析する。

出口戦略の再定義を迫られるAI業界

Anthropicの今回の措置は、単なる株式管理の問題を超え、AIスタートアップが上場(IPO)に至るまでの株主管理の在り方を問い直す契機となる。OpenAIが収益事業部門の分社化やガバナンス改革を進める中、Anthropicも長期的には株式公開を視野に入れていると観測されているが、非公認の二次流通が横行したままでは、適切な株価形成や機関投資家との対話に支障をきたすのは明らかだ。

シリコンバレーの有力法律事務所のパートナーは「Anthropicはセカンダリーマーケットの存在そのものを否定しているわけではない。あくまで管理されていない取引を問題視しており、今後は同社の承認したプログラムだけが唯一の流動性供給源になるという強いメッセージを発している」と解説する。数百億ドル規模のAI企業が、未公開市場の「無法地帯」と化した一部の取引慣行に異を唱えた今回の異例の警告は、生成AIバブルに浮かれる投資家に対して、相応のリスクと規律を突きつける結果となった。