米ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団は、低中所得国におけるワクチン接種率の劇的な低下を受け、新たに10億ドルの資金拠出を柱とする国際的な官民パートナーシップを発表した。新型コロナウイルスのパンデミックで後退した予防接種体制を再構築し、年間数百万人の乳幼児の命を守る体制を2030年までに確立する狙いである。日本企業にとっては、この分野での医薬品開発や物流技術の輸出機会が広がる可能性がある。
パンデミックが招いた予防接種率の歴史的後退
世界保健機関とユニセフの共同報告によると、2020年から2022年にかけて、基礎的なワクチンを1回も接種していない「ゼロドーズ児童」の数はパンデミック前から約600万人増加し、全世界で2100万人に達した。これは過去30年で最大の後退幅である。
特にジフテリア・破傷風・百日咳の3種混合ワクチン接種率は、サハラ以南アフリカと南アジアを中心に1990年代の水準にまで逆戻りした。財団の分析によれば、この状況を放置した場合、予防可能な感染症によって2030年までに追加で150万人の乳幼児が死亡するという試算が公表されている。
地域紛争や気候変動による医療インフラの破壊も状況を悪化させている。人道支援が届きにくい脆弱国家において、ワクチンは「最初に失われる医療サービス」となっているのが現状だ。
「グローバル予防接種加速機構」の設立へ
ゲイツ財団は今回、ワクチン同盟や国連児童基金、各国政府と連携し、「グローバル予防接種加速機構」と称する新たな資金メカニズムを立ち上げた。5年間で総額10億ドルを投じ、従来の無償供与型支援から脱却し、各国の自立的な接種体制構築を支援するのが最大の特徴である。
具体的な資金使途として、6億ドルがワクチンの購入と供給網の強化に、3億ドルが保健人材の育成とデジタル接種記録システムの整備に、残る1億ドルが住民啓発と誤情報対策に充てられる。財団のグローバル開発部門責任者は「単なるワクチン供給では問題は解決しない。現地の保健行政の機能不全そのものに対処する」と述べ、制度設計の重要性を強調した。
この枠組みでは、支援対象国に対して接種率向上の数値目標を設定し、達成度に応じて翌年の資金配分を変動させる成果連動型の資金供与を導入する。援助依存からの段階的な脱却を促す設計といえる。
コールドチェーン誤情報対策が成否の鍵握る
ワクチン普及における最大の障壁の一つが、温度管理を徹底する物流網、いわゆるコールドチェーンの未整備である。アフリカの一部地域では、製造拠点から末端の診療所までワクチンを適切な温度で輸送できず、最大で供給量の3割が廃棄されているとの推定がある。
財団はこの課題に対し、太陽光発電式の携帯型冷蔵装置や、温度変化をリアルタイムで監視するセンサー技術を搭載した次世代保冷ボックスの大量導入を計画する。インドの製薬大手と協業し、熱耐性を高めた新規ワクチン製剤の研究開発にも資金を振り向ける。
並行して、SNS上で拡散するワクチン有害論への対抗策も事業に含まれる。財団は地元の宗教指導者や有力ブロガーを巻き込んだ草の根の啓発活動を支援し、ナイジェリアやパキスタンで顕著な接種拒否の流れを断ち切る方針である。
日本企業の医薬品ロジスティクス技術への期待
国際保健分野での日本のプレゼンスは、資金拠出額では欧米に劣後するものの、技術面での貢献余地は大きい。特に断熱素材や小型冷却ユニットの分野では、日本の素材メーカーや電機メーカーが高い技術力を有している。
外務省関係者によると、政府も今回のゲイツ財団の枠組みに対する協調支援を検討しており、政府開発援助を活用した実証事業がアフリカ数カ国で計画されている段階だ。ある国内医療機器メーカーの幹部は「途上国の予防接種はこれまで慈善事業の側面が強かったが、持続可能な市場として設計できれば、日本の技術が長期的に貢献できる領域になる」と話す。
一方で、政府資金に頼る構造から民間投資を呼び込める市場へと移行できるかどうかは、今後の制度設計にかかっているとの指摘もある。財団の呼びかけに応じた拠出国の本気度が試される局面に入った。